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Sunday, December 14, 2008

もの思いにふけってます

数年前からうちの家族では年賀状印刷は妹の仕事になった。その前までは俺の仕事だったんだけど、どういうわけか親の分が800枚ほどあるのでめんどくさいことこの上ないし、一番面倒な仕事=最初の名簿作りは俺がすべて終わらせたので印刷だけなら妹も大した負担にならないだろうということでめでたく俺は解放された。


基本的に年賀状に意味を感じない、というかクリスマス、バレンタイン、ホワイトデーと同様に特定の業種がもうけるための陰謀だとしか思ってないので、俺の分の年賀状なんて毎年5枚程度なんだけど、今年はその数少ない送付先の中に不幸があったので印刷しないように妹に伝えないといけないことに気づいた。


今年のお盆、高校のときに2年間担任してもらった先生が亡くなった。ちょうど実家から下宿先に戻った翌日、母親からの電話で知らされた。急遽バスを予約し、翌日とんぼ返りでその足でお通夜に向かった。そのほんの2週間ほど前にどうも先生の体調が悪いらしいことは親友から聞いてたけど、まだ50歳になったかそこらでまさかそんな大病とは思わず、"またご飯いきましょう!"といつも通りの絵文字入りのおちゃらけたメールを送ったのが何となく申し訳なかった。
母校独特のOBも含めたネットワークの強さはハンパなく、訃報の翌日だというのに通夜には500人(あれ?300だっけ?)もの教え子たちが集まり、先生の人望が伺えてなんかうれしかった。同じ高校の教師でも死んだら5人も参列しそうにない教師がいるのとは対照的だ。翌日の葬儀にも偉い数の教え子(A群の英語担当なので教え子はほぼ医者か医学生)が来ていた。あれだけたくさんの医者に見送られる教師はなかなかいないだろうと思う。先生の顔をそこで見たんだけど....なんか慣れ親しんだ先生の顔とは違う気がしてパチもんじゃねぇか?とすら思った。結局それでも実感が湧かないままだった。


肝癌が肺メタしまくっていて、受診した時には手の施し様がなかったらしい。母校は宿題などゼロに等しいような放置プレイの割に超進学校なので、夏休みには講習もあるんだけど、そのプリントもすべて先生は生前に準備していたらしい。きっとそのときは既に告知されたあとで、残された時間が少ないことを知っていたはずだし、まだ独り立ちしてないお子さん二人のことが心残りで仕方なかっただろうに生徒のために貴重な時間を割いてくれたんだろう。一見やる気なさそうに見えて実はとても熱心で生徒想いの先生だった。高3の担任を受験直前の夏休みにあのような形で離れることは心残りだっただろうと思う。


間違いなく一番お世話になった先生だった。まさに恩師。
小学校時代は今と違って神童に近いほど頭が良かった俺は何かと小学校の低能教師どもに疎まれ、ささくれ立って、教師とか全員死ねって感じだった。例えば授業中寝てたらやたらキレられたり。アホの授業聞くくらいなら寝てた方がいいと判断した上で寝てるのに。寝る以上のメリットを示してみろっつーの。自分の頭の悪さを棚に上げて小学生相手にマジギレしたもうろくババァが懇談会で俺の親をつるし上げるほどのたちの悪さ。それこそイジメと何が違うんだ。そんな時間あったら勉強すればいいのにね。あいつら今頃なにしてんだろー。もう死んだだろうな。今あっても許さん。


まぁそんなこんなで教師なんて大嫌いだったけどあの中高一貫校の母校だけはひと味違った。そんな中でも一番仲の良かった先生だっただけに残念で仕方ない。卒業後も名古屋に戻る度にあっては食事をおごってもらってたぐらいだけど、ちょうど亡くなる前の2年弱ほどはタイミングが合わず会えないでいた。正確にはタイミングが合わなかったというよりも、他の遊びを優先してしまっていたような気もする。友達は医者になったらどこへ勤務するかわからない、だから今のうちに帰省中に遊んでおく。先生はずっと名古屋にいるから、俺が名古屋の病院勤務になればいつでも会える。そう思い込んでた。初めて給料もらったら今までのお礼にごちそうしようと思ってた。あと半年ちょいでそれが叶ったはずだったのに。


今思えば何とも浅はかな思い込みで、人生何が起こるかわからんというのを思い知った。明日の朝自分が普通に眼を覚ますかどうかすら絶対とは言い切れん。そういえばその週の週末が病院の試験だったんだけど、何がなんだかよく覚えてない。ってかそのために作ったスーツをまさかその数日前に、しかもあんな場面で着ることになるとは思ってもみなかった。どうにも切り替えができなくて、試験にはお葬式でもらったハンドタオルを持って行った。そのおかげかどうかは知らんけど無事病院には受かったってことはまぁそれなりにその場では切り替えられてたっぽい。待ち時間とかいろいろ思い出してヤバかったんだけど。


正直そのあともかなり引きずり、何やら不安定な精神状態だったけどタイムリーに友達のオカンが来て浴びるほど酒とトークを浴びせてくれたおかげでちょっと元気になった。感謝感謝 :-) あの人も間違いなく稼げるようになったら恩返しする人リストの一員です。


いい人からいなくなってしまうなぁ。今でも電話かけたら携帯に出るんじゃねーかって気もする。


....んーまぁ年賀状なんていう悪しき慣習のせいでここまで暗い気持ちになってしまった。今思い出して泣けることってそれくらいしか思い当たらない。基本ドライアイだし。来年はせめてご家族にいいことがあるといいなぁ。別に来年といわず明日でもいいけど。時間ができたら一度お邪魔させてもらおう。線香でもあげつついい報告ができるといいけど。


は〜弱いものでまた混乱してきた。最近飲酒量が足りんのかな。もうビールないし落ち着いて寝よっと。

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